後見制度・信託などについて
我が国では2030年に向けて、
①総人口は減少し
②高齢者人口は増加・後期高齢者人口はさらに増加し
③単身高齢者の独居が増加し高齢者の50%程度に(特に後期高齢者の女性)なる。
④都市部での高齢化が顕著となる(特に埼玉・千葉・神奈川)
⑤社会保障制度の重要性が高まる。
と言われています。
65歳以上の人口のうち認知症に罹患する割合は、厚生労働省の推計によると2015年520万人(16%)から2025年約700万人(20%)とされています。
それに対応する後見制度や信託制度を扱う法律専門職・士業は、弁護士4.2万人・司法書士2.3万人・行政書士5万人で合計115,000人です。士業の方々一人当たり単純五人の認知症の高齢者の方々に信託や後見制度の契約などの法律的サービスを提供するとしても57.5万人という数字になり、認知症高齢者の「700万人」だけと比較しても、はるかに遠く及びません。ほかにも「親亡き後の」ご心配をお持ちの方も大勢おられるのです。
一方経済のサイドからの意見としては、「高齢化の進展で認知症患者が保有する金融資産が増え続けており2018年現在145兆円と言われている金額が、2030年度には215兆円に達する。認知症になると資産活用の意思表示が難しくなり、そのお金が社会に回りにくくなる。国内総生産の四割に相当するマネーが凍結状態になれば日本経済の重荷になりかねない。お金の凍結を防ぐ知恵を官民で結集する必要がある」という声が出されているとも言われています。
確かに後見制度・信託制度の利用は、月に数万円程度は費用が掛かると言われています。有料老人ホームは場合によっては、入居時に数百万から二千円万・三千万円ともいわれる金額が必要で、その上毎月十数万円必要ともいわれています。
行政書士という国家資格を持ち仕事をさせていただいている者として、お金のあるなしにかかわらず、認知症の高齢者の方や「親亡き後」の不安をお持ちの方に対し、様々な現行制度を少しでもよりよく安心して使い、安心して生活していただけるよう努力するしかありません。
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(家族信託・自己信託について)
14年前に大改正された信託法ですが、国会で法案審議されたときは参考人からは厳しい指摘もされていました。
衆議院での4人の参考人のうち公認会計士の参考人は以下の点を指摘していました。
「自己信託を認めてしまいますと投資家や債権者に見えないあるいは見えにくいところで不良資産不良債権や問題事業の運営、問題投資の隠匿を行うような行為を企業が行いやすい環境を提供することになり問題があると言えます。」
「さらに自己信託と事業信託を組み合わせるなど今後多様な信託形態が活用されそれが仮に悪用されることになりますとそれに即応した監査制度が確保されなければ会計監査の実効性が危うくなる懸念がございます。しかしこのようなことは自己信託が悪用された場合には期待し難いと考えております。」
「信託勘定への会計監査が制度化されていないため問題が生じる可能性がございます。改正信託法案はそもそも諸規定を任意法規化しております。」
「事業信託への会計監査が制度化されておりません。さらに自己信託と事業信託を組み合わせますとこれまでご指摘致しました問題が複合的に顕在化する懸念がございます。」
「投資家債権者保護のための開示規制の議論などを充分に行わず安易に自己信託を導入することにつきまして証券市場の番人としての機能を担う公認会計士の一人といたしましては問題があると言わざるを得ません。」
二人いた学者の参考人のうちお一人の方(当時筑波大・現中大の新井誠教授)は以下の問題点を指摘していました。
「資産流動化信託は受託者が財産管理にほとんど裁量権を持たず、管理業務はプロパティマネージャーに委任するいわゆる器貸しビークルを特徴とする特殊な信託であり、一般法である信託法ではなく、特別法で規定するのが妥当です。」
「第二に、民事信託の中核を占める個人信託とりわけ福祉型信託についてはさらなる検討が必要です。跡継ぎ遺贈型信託の導入は高く評価されるものの、高齢社会を迎えて意思能力に問題を抱えた高齢者障害者の財産管理が社会的に注目されている状況において、意思能力喪失者が信託当事者となった場合の法律関係、法定後見人や任意後見人が信託を利用する時の法律関係について、全く見当が加えられていません。信託法案は受託者の義務を任意法規化していますが、高齢者障害者が当事者となる民事信託においては受託者の義務の任意法規化は妥当ではありません。また信託監督人の受益者擁護機能も決して充分だとわ思われません。」
「第三に、信託法案における信託概念は必ずしも適切なものとはなっていません。第二条の信託の定義において財産の移転という要件が含まれていないのは致命的であると考えます。これは自己信託を導入し自己信託においては財産の移転がないことから信託一般の定義から財産の移転を外したものです。このような定義は信託の本質をミスリードするものであり信託が不適切に用いられる温床になるものです。」
「第四条は、「信託は委託者となるべき者と受託者となるべき者との間の信託契約の締結によってその効力を生ずる」と極端な諾成契約的な構成を採用しています・・・・。 ・・・・比較法的にもこのような信託の定義は極めて特異です。この点については慎重な審議をぜひお願い申し上げたいと思います。」
「第八条は受託者は受益者として委託の利益を享受する場合を許容することによって受託者と受益者との兼併を一般的に承認しています。受託者と受益者とは対立概念であると考えるのが信託の基本であるとするなら、受託者と受益者とが同一人であるというのは信託の否定にほかなりません。そのような地位の兼併がたとえ期間限定のものであったとしても一般法である信託方が受託者と受益者との地位の兼併を一般的に承認するのは信託の理念の否定ではないでしょうか。しかも自己信託においては、委託者兼受託者兼受益者の一人しかいないという事態も許容されています。どうしてこれが信託であると言えるのでしょうか。」
「法制審議会のあるメンバーが次のように述べています。以下は引用です。
『全てが任意規定化されたからといって完全に自由であるというわけではなく、信託であると認められるためには最低限どこまでの内容が必要かという問題が存在することがわかります。緩和の限界が存在するはずだということです。そしてこれは信託とは何か、信託の本質はどこにあるか、という議論に支えられて明らかになってくるわけで、今後の解釈に委ねられていることになります。これがはっきりしないと真に安定した信託制度はできないわけでして、これからもじっくりとした議論が必要です。』
引用終了です。
これほどの重大問題が今後の解釈に委ねられるというのでは立法の意味はないのではないでしょうか.もし受託者の義務の任意法規化に限界があるのであれば、それは信託法案の中に明示的に示されてしかるべきではないでしょうか。それが示されないのは律法の瑕疵と言わなければなりません。
第四に、以上を踏まえて、信託法案はいくつかの点において改正されるべきであると考えます。
一 自己信託の導入は見送るべきべきです。
二 自己信託の導入の見送りに伴い、第二条の信託の定義に財産権の移転と言う用件を加え、第四条に要物契約的な見直しを行う、第八条は、受託者と受益者の地位の兼併を禁止するべきです。
三 目的信託の導入は見送るべきです。
四 目的信託導入の見送りに伴い公益信託に関する規定を信託法案本体に取り組む取り込むべきです。」
参考人の方のご発言の引用(分責・関根)は以上です。
私(関根)は「今後の解釈にゆだねられている」問題点と改正すべきと指摘される問題点があまりに多い「信託」という業務は「私には扱えない」と判断していました。
しかし、最近何人かの方から信託制度に関するお問い合わせをいただき、調べてみると、かなりの数が争われていた裁判に相次いで判決が出され、また和解となり、「今後の解釈にゆだねられ」ていた部分の方向性が見えつつあるようです。つまり、法律の欠陥の解決の方向性を示す判例・裁判例がかなり出そろってきたような模様です。それは次の言葉に言い表せられています。
「民事信託分野が、10数年以上にわたる濫觴(らんしょう=ものの始まり)の過程を脱し、ようやくひとつの確固たる分野として、確立しつつあることを実感することになろう」(年二回発行の雑誌「信託フォーラム」第16号p144。)
私もこの「実感」を味わってみるべく、まずは信託の基本書・教科書(「信託法」第4版 新井誠著・有斐閣・2019年)の勉強をじっくり始めることにしたいと思います。