ある依頼者の方の相続の手続きで戸籍を集めているときに、沖縄の那覇市で戦災により戸籍が焼失したことの証明書を出していただいたことがあります。沖縄戦の激しさに思いをはせました。調べてみると、硫黄島や小笠原村でも戸籍は焼失しているようです。日本の多くの都市で空襲がありましたから、この証明書を出す自治体も一定数あるであろうことは想像できます。
今も当時も戸籍は正副2通つくられ、今は正本は市区町村役場、副本はその地を管轄する法務局に保管されています。戦前は市区町村役場に正本が、その地域の区裁判所に副本が保管されていました。役所も裁判所も戦災で戸籍とともに焼失したところは、今、過去の戸籍を請求すると「戦災で焼失した証明書」を出すことになるのでしょう。
広島長崎の被爆地はどうだったのかと思い調べたら、広島は戸籍を「疎開」させており、長崎は爆心地から市役所が3km離れていて、それぞれ焼失を免れたそうです。
わが東京は、戦災と、それをさかのぼること20数年前の関東大震災の時はどうだったのでしょうか。
関東大震災の時の官報の情報を集めた人がいました。それによると以下の書類が焼失したと記されています。
京橋区役所 戸籍簿、除籍簿、戸籍に関する受理した届書類全部
日本橋区役所 戸籍簿、除籍簿、戸籍に関する受理した届書類全部
神田区役所 除籍簿及び戸籍に関する受理した届書類全部
芝区役所 除籍簿及び戸籍に関する受理した届書類全部
深川区役所 除籍簿及び戸籍に関する受理した届書類全部
本所区役所 戸籍簿、除籍簿、戸籍に関する受理した届書類全部
下谷区役所 戸籍簿の一部、除籍簿の全部
ちなみに、戦前は東京の区は35区あったそうです。正本も副本も焼失した場合は「仮戸籍」を調整して対応するのですが、「仮戸籍」の記載は本戸籍の記載と同様の効力を有したとのことです。
東京大空襲などの東京への空襲ではどうだったのか。35区中21区で役所が罹災し、7区で戸籍の全部又は一部が焼失しました。焼失戸籍数は152,409だったようです。
1943年3月以前の副本が東京区裁判所に残っていたので、それに基づき戸籍の再製作業をはじめ、1945年3月の戸籍を再製するという作業が進められました。そして、1951年には151,518の戸籍が再生されました。焼失戸籍数で再生されなかったのは891のみです。
再製率99.41%。
東京大空襲で亡くなられた方は一晩で10万人。そのほとんどの方の戸籍は再製されたことになります。
(次の文書・書籍を参照させていただきました。
*「[資料]官報と戸籍先例にみる関東大震災」 斎二幸一事務所 斎二幸一 歴史地震 第29号(2014)93-110項
*「戦時下の戸籍管理—旧東京市部の事例」
森顕登(もり あきと)九州大学大学院統合新領域学府ライブラリーサイエンス専攻 レコードマネージメントNo68、pp63~79
*「滅失戸籍の再製の実務」 木村 光男・竹澤雅二郎 著 日本加除出版